丸山思想史とムラの話

メインブログで書いた丸山真男と「実感信仰」について少しだけ補足。
丸山真男に象徴される「近代主義」思想家たちにとってムラは前近代の封建的村落共同体の要素を強く残したものであり、それゆえに天皇制、ひいては天皇ファシズムの温床として否定的に評価されるものであった。ムラ社会前近代的であり、また非合理的な存在である。そして日本の近代化過程とは、合理的な国家権力による非合理の抑圧を意味する。ごく単純に言えば以上のような構図が出来上がるだろう。
この構図に対しては現在までに様々な観点から批判が加えられている。ひとつは、ムラ社会の非合理はひとくくりに出来るものではなく、非合理にも歴史性があるのだ、という批判。もうひとつは、ムラ=非合理という構図は現実の反映というよりむしろ「そうであってほしい」という国家の願望を反映したものではないか、という批判。特に大正期においては、都市と農村の距離が近づいたことで「文明的な生活」を求めるようになった農民と、地方名望家秩序の解体を抑えるために「慣習に則った生活」を求める国家、という合理と非合理の逆転が見られた。その例として民力涵養運動の存在が注目に値するだろうが、追々その話も行っていく予定。
ではどうしてムラからファシズムが生まれたのか。まず第一に、ムラが度重なる恐慌を経験して「反資本主義」的傾向を強めながら、同時に地主に対して土地の私有を要求するという「反社会主義」的な傾向を持っていた、という事情を考慮しなければならない。ファシズムは、その完成期においては独占資本との結びつきを強めるが、少なくもとも形成期においては資本主義を否定する立場を取る。しかし、同時に社会主義に対しても激しい敵意を燃やしている。これだけのことを書いておけば、両者の類似性は明らかだろう。
もともと日本でもドイツでも右翼には農本主義的な考え方が強く、上記のような類似性がますます彼らを農本主義に駆り立てた。このためにファシズムの非合理性とムラのイメージが混じり合い、現在に至っている――というのが僕の考え。