『ファミリー・プロット』

早くも遺作にたどり着いてしまった。まず物語を要約しておこう。インチキ霊媒師のヒロインは、さる大金持ちから自分の甥を探し出してほしいと頼まれる。ところがその甥は、金持ちを誘拐しては身代金代わりに宝石を要求する犯罪者で、自分のことを捜しているやつがいると知った彼は、主人公たちを殺そうとする。主人公とヒロイン、そして彼らの探す犯罪者、この複数の物語が同時に進行するが、その割には情報量が少なく、容易に理解できる。彼と彼がどうして知り合いなのか、このふたりはどういう関係なのか、彼はいったいどんな人生を辿ってきたのか、といった話はまったくない。サスペンスには単純さが必要だという、ヒッチコックらしい内容である。また、サスペンスとユーモアの配分が絶妙だ。『知りすぎていた男』とか『北北西に進路をとれ』なんかも上手いが、これには及ばない。オチは多少興ざめだったが、『火刑法廷』的なものを狙っているのだろうか?
多くの論者が指摘しているだろうが、ヒッチコックの映画に登場する主人公・ヒロインは同じようなタイプが多い(医師とかエリートサラリーマン、女性だと「昼は淑女、夜は娼婦」的な)。しかしこの作品に関してはそれが当てはまらない。例えば、ヒロインのバーバラ・ハリスはある人物から「セックス依存症」と呼ばれる始末であり、そのパートナー役のブルース・ダーンも三枚目気味で、ヒッチコック好みの渋い男性像とは程遠い。この変心にどういった事情が絡んでいるのかはわからないが、結果的には良かったと思う。というか、この映画の成功はキャスティングに負うところが大きい。
映画の中盤、車のブレーキに細工をされ、猛スピードで山道を降りて行く主人公たち。そこで必死に運転している主人公に金切り声を上げてしがみつくバーバラ・ハリスには、不覚にも「うぜぇ」と思ってしまった。映画は彼女が観客に向けてウインクして終わる。チャーミングでときどき鬱陶しい女性、といったところか。ヒッチコックは首尾一貫した「物語」よりも、観客をどきどきさせる「シチュエーション」に重きを置く人であるだけに、設定負けしないキャスティングの有無によって映画の出来が左右される傾向にあると言えるだろう。
もうひとつ気になったシーンは、映画の序盤に犯罪者の男が屋敷の中に入ってきて、屋敷のシャンデリアを前景、男を後景にして、廊下の姿が映されるところ。私の記憶では、ヒッチコックはこういう遮蔽物越しの構図はあまり使用していない(人物主観を除いて)はずだったので、「あれ?」と思ったのだが、実はシャンデリアの飾りに使われるイミテーションの宝石の中に、本物の宝石が隠れているという伏線になっている。なるほど、と思った。ついでに書くと、赤川次郎は「ぼくのミステリ作法」の中で、こっそり伏線を張りたいときは、たくさん物を列挙してその中に見せたいものを紛れ込ませればいいと書いている。比較しているわけではないけど、同じような隠し方をしても、隠していることを冒頭ですぐにばらしてしまうあたりがヒッチコックらしいな、と思った。
あとは中盤の墓地のシーン、ある男の葬式があって、主人公はその男の妻から情報を引き出そうとする。主人公を見つけて逃げようとする女。墓地の道は入り組んでいて、近づいたり離れたりしながら、ようやく捕まえる。この場面は真上からの俯瞰で撮られて、入り組んだ道のシンボリックな意味が強調される。つまり、並列的に描かれたふたつの物語が、ここでようやく繋がったのだということを示しているのだろう。