研究メモ1

現在の研究課題:貨幣論と社会論のあいだ―左右田喜一郎と福田徳三を題材に
進捗状況:貨幣論と社会論のトポロジカルな関係を記述。
→契約説的な社会とも、有機的な社会とも異なる、現に貨幣が流通しているという「事実性」を根拠とした「貨幣流通社会」と大正期における「社会の発見」の類似性(岩井克人貨幣論』に登場する「貨幣共同体」からの発想)。
現に貨幣が流通しているということ=人間の社会性の証明であり、貨幣概念の前提としないと社会の形成は解けない(左右田喜一郎)。
現に人間が生きていること=人間は生き延びねばならない(義務としての生存権)(福田徳三)
→事実性が社会形成の基盤であり、同時に社会の目的を指し示すというアクロバティックな論理。
問題点:新カント主義の影響をうけた、非常に無茶な理論。では、いったいなぜ、このような無茶な理論を導入する必要があったのか?(理論の社会的根拠)また、このような無茶な理論によって、彼らは何を達成したのか?
現在の「社会の発見」論では、社会の発見が「知識人の要請」だったのか、それとも「社会の変化の追認」だったのかが不明瞭。いったい、彼らは何のために「社会の発見」を論じたのだろうか?国家が自らを権威の源泉とすることが出来なくなったため?しかし、なぜ「社会」だったのだろうか?
課題:上記のような無茶な理論が導入される前段階として、その理論が無ければ説明できないような、何か新しい状況が生じていたのではないか?→明治中期〜大正期までの社会思想家における世代交代、あるいは挫折の経験に目を向ける必要が(大正中期までに影響力を失う、徳富蘇峰の読解など)。あるいは論じ方の変化を、その原因を考えながら読む。
福田徳三の理論を、時期における論調の変化に注意しながら読む。
目標:理論の紹介にならず、「彼らはなぜそのような理論を作ったのか」を考える。その背景がわかれば、彼らの理論の乗り越え方もわかるはず。また、福田や左右田の「位置」について考える。彼らは何を成し遂げたのだろうか?