2011-07-30
- @race_c あったりまえじゃないですかー。
- 夜ぎゃおぎゃお。http://t.co/qPltGWK
- 導入としてはこの辺が手頃ではあるのだけど、>大橋容一郎「新カント学派」須藤訓任編『哲学の歴史9−反哲学と世紀末−』中央公論新社、2007
- @cujoeddie まあ、自己PRって大事ですよね。私もお金をもらう書類を書くとき、自分のことを「将来有望な研究者」とか書いたし。
- @race_c 本当にそう。まあ、そのおかげで、文化財の解説をしてもらえることがあるので、許しますけどね。
- お寺の公式アカウントって自分で「格式高い」とか書いちゃうのか。
- 以前に歴史学の話をしたときはフォロワーが減って、アイデンティティが崩壊しそうになったけど、今回は増えた。
- 一方、私はといえば、ゼミの課題でアガンベンやらナンシーやら、特異性やら潜勢力やらについてまとめているのであった。
- お風呂入りたいのでこれくらいで。ちゃんとした文章にするかは未定。
- 方法論の行き詰まりが嘆かれることは多いけど、実際のところは①高度化された理論についていけず、理解できるレベルまで引き下げた結果、従来の理論とあまり変わらない。②理論は高度化しているけど、愚直に史料を読む努力を回避している。このどちらかである場合が多い。
- (あなたが知りたいことは、フーコーではなくI.ハッキングの仕事では?と言いたくなる人はいる)
- 権力を抽出しようとする試みは、皆無である。どうしても思想史の流儀で、言説を「誰かの意図」に還元してしまうのだ。
- とはいえ東條氏はかなり異色な存在で、あのレベルで議論できている人はほとんどいない。また、日本のフーコー受容においての最大の問題は、ほとんどの人がフーコーほど愚直に史料を読まなかったことにある、と言ってよいだろう。「汚辱に塗れた人々の生」に見られるような、レトリックに働く
- 終始してきたと言える。だが、その食い違いのなかに「近代」の実質があると考えるべきで、たとえば東條由紀彦氏の一連の研究は、その方向である程度高い達成を見せた。
- さて、そもそもの発端であった史料の爆発的増加にたいして、言説論はそれと切り結ぶことができていたであろうか。仔細に検討すれば、計量的データが示す「近代性」と「近代化という言説」が食い違いを見せていることは明らかだが、近年の言説論の大半は「近代化という言説」の虚偽性を指摘することに
- このとき、「近代」とは「近代化という支配階級の言説」と同一視される。
- 「民衆が語れないのは、支配階級の言説が民衆に押し付けられているからだ」みたいな、ほとんどグラムシと見分けがつかない議論が、ポストモダンの名のもとに語られるという状況が生じた。
- 受容されたことが端的に示しているように、「言説」はしばしば支配装置、ありていに言ってしまえば「虚偽意識」みたいなものとして受け取られた。マルクス主義歴史学の土壌のうえに、デリダやフーコーの厳密な検討を欠いたままポストコロニアル論が接ぎ木され、化学反応を起こし、
- おそらく「近代化」をふたたび有意味化しようとする試みとして、90年代以降の「言説論」の隆盛があったと考えられるだろう。フーコーの「言説」がいかに奇妙な概念であるかについてはいまさら語る必要はないだろうが、この概念が歴史学においては、E.ホブズボウム『創られた伝統』とセットで
- 枕詞のように使われ続けた。無意味化しつつ。
- 正確に言えば、それらが連動して起こるという通念、ある特異な時期を境にあらゆることが近代化するという通念を批判した。それは当然「近代化」という概念の有用性に疑問符をつけることになるわけだが、不思議なことに、「古い近代化論」は盛んに批判されながら、「近代化」そのものは
- 70−80年代における「社会史」の隆盛は、まず歴史家のアクセスしうる史料の絶対量の増加に支えられていた。それは「些末な研究が増えた」と批判される一方、たとえば近代化論における「大家族から小家族」「農業から工業」「人口爆発」といった通念に疑義をつきつけた。
- 近年の歴史学方法論においてもっとも盛んに議論が行われているのが、戦争体験、植民地支配といった、そもそも史料が少なくサバルタニティの概念と親和的な領域。他方、史料が多くて扱いきれないような領域では、伝統的職人芸が幅を利かせ、「戦後歴史学の見直し」など他人事。
- 90年くらいに画期があって、いくつかの学会が「戦後歴史学の見直し」を唱え始める。でも、そこで入ってきたのはポストモダンであるのと同時に、ポストコロニアルだった。一足飛びにポストコロニアル、主体性、サバルタンといった議論に飛びついた辺りに問題があったのではないか、とか。
- kei_ex 大学4年生、関西ではなぜ「4回生」と呼ぶのか :日本経済新聞 http://htn.to/5WVr7C
- 6000字くらいの内容が全然決まっていない原稿があるのだけど、「歴史学におけるポストモダン受容」というテーマで書こうか、と、稲葉先生のブログを見ながら思った。
- 『灼熱の小早川さん』発売延期>http://t.co/jR2RktJ それにしても凄いネーミングだ。
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