日高敏隆『動物という文化』

動物という文化 (講談社学術文庫)

動物という文化 (講談社学術文庫)

生物学に関してはまるっきり素人の僕にもすんなりと頭に入ってくる、素晴らしい入門書。動物の体って上手く出来てるものだなぁ、と感心してしまった。比喩と類推を豊富に用いた文章は詩的で、斜め読みするだけでも十分に面白い。特に面白かったのは、神経が背中を通っているか胸を通っているかで脳の発達に違いが〜、という話。

節足動物の中枢神経系は、われわれ脊椎動物における脊髄とは反対側に腹側、つまり食道から腸とつづく消化管の下側を走っており、腹髄とよばれる。ところがどういうわけか、脳だけは背側、つまり食道の上側にある。そこで脳から出た左右一対の神経系は、どうしても食道を迂回して腹髄の出発点となる、脳につぐ第二の神経節(食道下神経節)につながらねばならない。
(中略)
多くの昆虫の、とくに親では、脳と食道下神経節は、形の上でもくっついてひとつの塊になっている。これが節足動物の脳なのだ。
本来は食道の上にあるいわゆる脳と、食道の下にある食道下神経節とから「脳」ができているというこのことが、肢のある文化に重大な制約をもたらすことになった。
つまり、どう考えてみても、「脳」のまん中を食道が貫いて走ることになるのである。外側にはこの文化の一つの基盤である丈夫なクチクラががんばっている。そこで、脳が大きく発達すればするほど、食道はしめつけられることになる。太ったブタであることがいやらなば、食物ものどをとおらぬソクラテスにしかなれないのだ。

「太ったブタであることがいやらなば、食物ものどをとおらぬソクラテスにしかなれないのだ」。ミルの『功利主義』を援用した言葉である。だからミツバチや蚊は、花の蜜や血といった、ドロドロの「流動食」しか食べられない。そう考えると彼らのことがずいぶんとストイックな存在に見えてくる。