救命艇

音楽はタイトル部分だけ、カメラは救命艇の外にほとんど出ないという、実験精神旺盛という意味で非常にヒッチコックらしい映画。でも、俺はあんまり好きじゃない。登場するドイツ兵を悪人として描こうとする力と、ドイツ兵を海から突き落とすアメリカ人たちの闇を描こうとする力とが、上手く合成されていないように感じた。ドイツ兵をリンチした直後に怪我をした少年ドイツ兵を助けて、それでヒューマニズムを感じろと言われてもなぁ。
助けたドイツ兵を殺す殺さないとやっていたのに、船を動かせるのが彼だけだということで、いつのまにか乗客たちはそのドイツ兵に対して崇拝にも似た感情を抱くようになる。この辺の話は非常に興味深く、極限状態の現実はこういうものかもしれない、と思わせる説得力があった。しかし、そのドイツ兵はあくまでもファシストで極悪人で、それを目撃したアメリカ人たちが正義感に目覚めてリンチしてしまう、という辺りでシナリオの一貫性が失われてしまう。『蠅の王』のように後味が悪くても芯の通った話なら良かったのだが、そこはこの映画のプロパガンダ的性格を考えればやむをえないというべきか。
ヒッチコックが言うには、強い意志と組織力を持ったファシストに、まだ組織されていない民主主義者たちが立ち向かう話らしい。そういうプロパガンダなので、民主主義者たちが最後には団結してファシストを追い出す結末になるのは当然だが、やはりうさんくさい。また、90分の間ずっと船の中という単調さを紛らわすために、乗組員同士の成長だとかロマンスが挟まれるが、本筋の出来の悪さをカバーするほどではないと思う。
映像の話もすると、海の話だけど海で撮影しているわけではなく、スタジオに設置した船の後ろに巨大なスクリーンを置き、それに海の映像を投影しながら撮影したらしい。車を走らせるシーンでいつも使われている技法(スクリーン・プロセス)だ。
ほとんど会話で話が進んでいく上に、カメラワークも制限が強くて、あまり見所は無かったように思う。ある登場人物の怪我が悪化して片足を切断する場面では、直接的な描写を避けて、カメラの前にごろんとブーツが投げ出される。そこは面白かった。あとヒッチコックカメオ出演