『ロープ』

全編ワンカットの映画として有名だが、OPから冒頭のシーンをのぞいても、開始30分くらいで一回カットが切り替わってているような……。あと、フィルムを代えるたびに、カメラの目隠しに人が通り過ぎるのは結構気になった。
ストーリィはシンプルで、同性愛者の男ふたりが友人を殺害し、死体を家のチェストの中に隠す。そこに次々と客が現れて、ついにしたいが見つかってしまう、という話。ヒッチコック流のサスペンスは「急にバランスが崩れること」で恐怖を生み出すのだ、とトリュフォーが書いているけれども、この作品はその典型だろう。たとえば話の中盤に、犯人のうちのひとりがピアノを弾いているシーンがある。そこに彼らを怪しいと思っている探偵役の男が現れて、質問攻めにする。犯人は答えているうちに興奮して、ついに演奏を中断してしまう。その前も、皮肉なことにその後もメトロノームは一定のリズムを刻み続けている。
『暗殺者の家』『知りすぎていた男』ではコンサートの会場を舞台にして、シンバルの音が鳴ると同時に暗殺者の銃弾が発射され、演奏が中断してしまうシーンがある。つまりこれと同じ発想である。手に汗を握る、というのは陳腐な表現だが、まさにそういう映画だった。シチュエーションの勝利だろうか。チェストの中を調べられたら負け、というわかりやすさと、その状況を自然に感じさせるための、犯人役の人物造形。そういえば加害者の側に視点を置いたサイコって、結構珍しいのではないだろうか。「俺は加害者かもしれない……」と悩む記憶喪失物はたくさんあるけれど。
『ロープ』の面白さはワンカット撮影でゆっくりと視点を変えながら、登場人物たちの集まった部屋をひとつの空間として、喜劇からサスペンスへと変化する流れを描き出した点にあったのではないか、と思う。冗長に思えることもあるのだけど、まったく無意味というわけでもなかった。だが、それがモンタージュという映画の基本的な技法を放棄するほどのメリットになるとは思えない。初めてのカラー作品でいきなり実験をやらかしたことは凄いと思うのだが……。ただ、ワンカット撮影の評価はともかくとして非常に面白い映画であることも確かであり、そこだけに注目する必要はないだろう、というのが私の結論である。