ナラトロジー関係文献

某所でナラトロジーについて勉強させてもらっているのだが、ちょっとした報告をする機会があったので、そのときに使用したレジュメをここに転載する。文献の引用のみで解説はなし。テーマは「ルポタージュと歴史学」ということで、ルポタージュ作家・沢木耕太郎の「クレイになれなかった男」と民衆史家・安丸良夫の「民衆思想とイデオロギー編成」を比較検討する。

ルポタージュと歴史学
考察の方向
名前を持つこと、対象と記述者の緊張関係、「民衆を語る」ための条件、サバルタン


1.宿命と現在の矛盾
「明らかに彼は“作られ”てきた。だが“作られ”ないスターなどありはしない。しかし、内藤純一がカシアス内藤という名で“作られ”た時点が、彼にとって大きなターニング・ポイントだったとは言えるだろう。……“和製”クレイ、これが彼の宿命となった。」(「クレイになれなかった男」p35~36


「同世代という言葉があるとすれば、正しく彼は同世代人だった。もちろん、単に年齢が近いといばかりではない。彼もまた迷っている。自分の宿命とどう折り合いをつけていいのか戸惑っている。その“迷い”が不思議な実在感をもってぼくに迫ってきたのだ。言葉にすれば、
《奴も苦労しているな》
という思いだった。」(「クレイになれなかった男」p13~14)


「内藤は獣のようになれないタイプのボクサーだった。」(「クレイになれなかった男」p32)


「民衆思想の研究は、いまではすでに過去のものとなった思想の研究にとどまるものではなく、その思想のなかにはらまれていた矛盾や裂け目や苦悩を媒介として、あらたな思想形成の可能性について考えることでもある。」(「民衆道徳とイデオロギー編成」p58)


2.世界と自己の意味づけ
「《(前略)それにリングの上で殴りっこしてると、とても降りたくなっちゃう。早くリングから逃げ出したいと思うけど、ケリをつけるまで逃げられやしない……》
《それがボクシングの嫌な点かい》
わざときいてみた。内藤は真顔で反論してきた。
《違うよ。逃げられないから、だからいいんだよ。リングの上に登った時はもう絶対逃げられないんだ……》」(「クレイになれなかった男」p42~43)


「このような動向は、民衆が世界全体のなかで自己をあらためて発見して意味づけなおし、そのことによって自己変革=自己革新をなしとげる過程にほかならなかった。世界と自己とのあらたな意味づけは、儒教思想の系譜にたって彼岸的主知的におこなわれるばあいもあれば、石田梅岩や黒住宗忠のように宇宙と自己とが一体になるというやや神秘的な体験を媒介にする場合もあり、また民衆的諸宗教のように神憑りによってこれまで知られていなかった至高の神の声をきくことによるというばあいもあった。しかし、いずれのばあいも、世界と自己のあらたな意味づけとそこにうまれた新鮮な感動があり、そのゆえに自己変革=自己革新がうながされ、そこに膨大な人間的エネルギーが噴出したのである。」(「民衆道徳とイデオロギー編成」p59)


3.「超越的なもの」の役割
「なぜ内藤は天下をとれなかったのだろう。これだけの素質と力を持ちながら、なぜ?……彼に欠けていたのはガッツであるより、勝負への執着であるより“超越的なものに対する飢餓感”であった。それが同じカシアスという名を持ちながら、クレイと内藤の決定的に違う点だったのだ。ボクサーはこの“飢餓感”をバネに、辛いトレーニングに耐え、減量に耐え、相手のパンチに耐える。それは、間接的には金と結びつくが、必ずしもそればかりではない。“栄光”というものへの“渇仰”といいかえてもよい。」(「クレイになれなかった男」P47~48)


「“燃えつきる”―この言葉には恐ろしいほどの魔力がある。正義のためでもなく、国家のためでもなく、金のためでもなく、燃えつきるためだけ燃えつきるこの至難さと、それへの憧憬。あらゆる自己犠牲から、あとうかぎり遠いところにある自己放棄。」(「クレイになれなかった男」p54)


幕藩体制とも天皇制国家とも異なった社会体制を民衆が独自に構想しようとすれば、それはかならず独自の世界観にもとづいたものでなければならない。現存の社会秩序は精神的なものの権威にもとづいて成立しているという転倒した意識が支配しているために、民衆は至高の精神的権威を自分のうちに樹立したときにのみ独自の社会体制を構想しうるのである。そして、近代社会成立期においては、このような精神的権威を民衆が獲得するためには、それが宗教的形態をとることはほとんど不可避であったろう。」(「民衆道徳とイデオロギー編成」p80)


4.記述対象の他者性について
「内藤とはじめて会ったとき、ぼくは彼と暗黙の約束をした。
―この試合でケリをつけよう。
―それを見せてくれ、見せてほしい。
そしてその上で、
《こんどは勝つような気がするな》
と内藤はいったのだ。」(「クレイになれなかった男」p51)


「以前、僕はこんな風にいったことがある。人間には“燃えつきる”人間とそうでない人間の二つのタイプがある、と。
しかし、もっと正確にいわなくてはならぬ。人間には、燃えつきる人間と、そうでない人間と、いつか燃えつきたいと望みつづける人間の、三つのタイプがあるのだ、と。
望みつづけ、望みつづけ、しかし“いつか”はやってこない。内藤にも、あいつにも、あいつらにも、そしてこの俺にも……。」(「クレイになれなかった男」p57)


「安丸 私は中山みき出口なおを研究してきましたが、その人たちが語った言葉を本当にその人たちの内面に沿って理解したかどうかについては、自分でも疑問に思っています。私が彼女たちのテキストを読むときに、私は不可避的に自分の持っているいろいろな知識をそこに投入して懸命に解釈しているわけで、中山みきが神の言葉として語った言葉と私が中山みきの言葉として理解した言葉のあいだにある種の断絶があることは自覚しています。SS(Subaltern Studies:引用者注)が戦略として建てたことは、私たちは中山みき出口なお自身にはなれないが、ちがう文脈のなかに彼女たちのテキストをおき直して解釈して見せることはできる、ということではないですか?」(「<対談>今、民衆を語る視点とは? 民衆史とサバルタン研究をつなぐもの」p293~294)


5.非当事者であること
「私からすれば、敗戦という驚天動地の大事件をあっさりと受けいれて感情的な反応を見せない母の態度に“どうして?!”という驚きがあったのである。それを本書で用いた用語法でいえば、一介の庶民であり、それゆえに生活の専門家である私の母のような人間にとっては、戦争も国家も余計な闖入者で、そうした次元に囚われやすい私とは精神の位相が異なっていたということであろう。母や村人たちも、戦争や国家という全体社会に自分たちが所属していることをよく知っているのであるが、それを自分では手の届かない運命のようなものとして、なんとか受けいれて耐え、またやり過ごして生きるのである。だが、生活からはみだした余剰な観念の方に囚われて生きてしまう奇妙な少年も、村の生活の周縁部にはやはり見つけられるものなのだ。」(「近代天皇像の形成 あとがき」p328〜329)


「事柄に存するもの、つまり、その事柄そのものに内在する内容は、隔たりができてはじめて、つかの間の状況から生じたアクチュアリティから分離するというのは、本当である。歴史的な出来事の全体が見渡せること、出来事が相対的に完結していること、出来事が、その事柄について現在を満たしている多用な見解から隔たっていること―これらはある意味では、歴史的理解の真に積極的な条件である。それゆえ、歴史学的方法の暗黙の前提は、《完結した連関に属してはじめて、言い換えれば、十分に死んでわずかに歴史学の関心しかひかなくなってはじめて、持続的な意味をもつものとして客観的に認識できるようになる》ということである。」(「真理と方法 第二部」p467)


6.「時間の隔たり」の効用
「時代の隔たりには、濾過という消極的な側面と同時に、この隔たりが理解に対してもつ積極的な側面もある。それは、部分的にしか当てはまらない先入見を死滅させるだけでなく、真の理解を導く先入見そのものを現れるようにもするのである。……先入見はたえず、そして気づかれることなく働いている限り、これをいわば目の前におくことには成功しない。それに成功するのは、先入見がいわば刺激されたときだけである。そのように刺激しうるのは、まさに、伝承との出会いなのである。というのも、理解へひとを誘うものは、それ自身すでにまずもって、その他者性が引き立たせられていなければならないからである。……本当のところは、先入見はそれ自身危機にさらされる(auf dem Spiel stehen)ことによって、真に本来的な仕方で理解に働き始めるのである(ins Spiel gebracht werden)。先入見は自らを賭ける(sich ausspielen)」ことによってのみ、他者の真理請求というものを経験しうるのであり、またそれによって、他者もまた自らを賭けることができるようになる。
いわゆる歴史主義の素朴さは、このような反省を避けて、自らの手続きの方法論に頼んで、自分自身の歴史性を忘却しているという点にある。」(「真理と方法 第二部」p468~469)


「こうして、私は、学問の世界でもはじめはいくぶん突飛にみえたかもしれない独自の考えをもつようになるとともに、社会や人生についても、しだいに容易にはゆずることのできないいくつかの論点をもつようになり、要するに私自身となっていった。だが、そのことは、私が確固とした政治意識や社会意識をもつようになったということではない、私の政治意識と社会意識とは、そのころもいまも、あいまいでお人好しなヒューマニズムの諸断片をいでず、生活者としての私は、小心翼々と生きてきたにすぎない。しかし、それにもかかわらず、そのような私にも、おはや容易にはひきさがることのできない言いぶんはあるのであり、私の歴史学は、そうした私の人生における立場と相互に密接に媒介しあったものとして形成されるほかはなかった。」(「あとがき」p293~294)


7.語っているのは/語られているのは誰か?
「その主要な前提のひとつが主権的な主体についての批判であるにもかかわらず、フーコードゥルーズとのあいだで交わされた対談は二つの一枚岩的で匿名の革命化しつつある主体によって組み立てられている。すなわち、「あるマオイスト[毛沢東主義者]と、[労働者たちの闘争]である。しかしながら、知識人たちについては、名指しされ、差異づけがなされている。そのうえ、中国で実際に展開された毛沢東主義は、対談のなかのどの場所でも、まったくなんの現実的な働きもなしていない。」(「サバルタンは語ることができるか」p4)


フーコーは、生産の社会的諸関係を再生産するにあたってイデオロギーがはたしている役割を否認することにともなう、もうひとつの帰結をも明らかにしている。被抑圧者をなんの疑問もなしに主体として、あるいはドゥルーズが感嘆して評しているように「囚人たち自身が語ることのできるような状態をつくりあげる」「客観存在」として価値付けようとすることがそれである。……実のところ、囚人、兵士、生徒たちの政治的アピールの保証人である具体的経験が明るみにだされるのは、あくまでもエピステーメーの診断者たる知識人の具体的経験をつうじてなのだ。」(「サバルタンは語ることができるか」p11~12)


フーコードゥルーズの対談においては、論点は、ルブレザンタシオンとかシニフィアンといったものは存在しない(シニフィアンはすでに片付けられてしまったものと想定されるということなのか。だとすれば、経験を操作している記号構造はすでになく、したがって人は記号論を葬り去ってもよいということになるのか)。理論とは実践の中継者である(こうして理論的実践にまつわる諸問題を葬り去ってしまう)、被抑圧者は自分で知り語ることができる、ということのようである。が、これはすくなくとも二つのレヴェルにおいて構成的な主体を再導入する結果となっている。還元不可能な方法論的前提としての欲望と権力という[大文字で始まる]主体と、被抑圧者という自己同一的ではないにしても自己近似的な[こちらのほうは小文字で表記された]主体とである。さらには、これら二つの主体/主体のいずれでもない知識人たちは、その中継レースのなかでは透明な存在と化す。というのも、かれらはたんに被抑圧者という代表ないし表象されることのない主体について報告しているにすぎず、権力や欲望(によって還元不可能なしかたで前提されている、大文字で始まる名指されることのない主体)のはたらきを(分析することなく)分析しているにすぎないあらである。」(「サバルタンは語ることができるか」p26~27)


「このグループ(サバルタンスタディーズ:引用者注)の調査の対象は、それが人民そのものの場合ではなく、地方的レヴェルのエリート・サバルタンという浮遊的な緩衝地帯の場合には、ある理念的な存在―人民またはサバルタン―からの逸脱態なのであって、しかも、その[人民またはサバルタンという]理念的な存在はそれ自体がエリートからの差異として定義されるのである。」(「サバルタンは語ることができるか」p42~43)


8.「サバルタンであること」の流動性
「地方的レベルでは、[土着の支配集団は]…全インド的レヴェルでの支配集団よりもヒエラレルキー的に下の社会階層に属しているにもかかわらず、全インド的レヴェルでの支配集団の利害の圏内で行為したのであり、かれら自身の社会的存在に真に合致した利害におうじて行為したのではなかった」。これらの書き手たちが(サバルタンスタディーズ:引用者注)中間集団における利害と行動のあいだのギャップについて語るとき、なるほど使用されている言語こそ事態を本質主義的にとらえようとするものでありながら、かれらの結論は、この問題にかんするドゥルーズの言明が自意識過剰なナイーヴさを露呈しているのにひきかえ、マルクスにより近いものになっている。グハは利害について語るとき、それをマルクスと同様、リビドー的存在ではなくて社会的存在の見地から語っているのである。『ブリュメール一八日』に出てくる父の名という形象は、階級や集団の行動というレヴェルにおいては「それ自身の存在への真の合致」などというものはパトロニミックと同じだけ人為的ないし社会的なものだということを強調することを助けてくれる。」(「サバルタンは語ることができるか」p43~44)


「これまでのべたように、一般的にいえば、通俗道徳的自己規律の真摯な実践は、現存の支配体制の内部でのささやな上昇を可能にして支配体制を下から支える役割をはたし、社会体制の非合理的なカラクリをみえにくくするものとしなければならない。むしろ、通俗道徳を教える思想家は、現存の支配体制をすすんできわめておめでたく讃美しているばあいが多い。……だが、他方で、通俗道徳的自己規律が実践される実践の場において具体的に考えてみれば、それが変革的な意識へと転化しうる可能性も容易に把握できると思う。たとえば、梅岩や幽学などはみずからは思想と教育の専門家であり、その生活も門人たちに依拠しているから、そのかぎりで封建権力や商業高利貸資本と直接的な交渉をもたなくてもすむ。だが、彼らの教化をうける豪農や一般民衆は、日常生活のなかでたえず権力支配の末端や商業高利貸資本と接触し、苦しめられたりだまされたりしている。だから、タテマエとしては権力者をうやまい服従するように教えられていたとしても、苛酷で不正で奢侈におぼれている役人や高利貸をみるごとに秘められた憤りが内心に蓄積されてゆき、みずから受容している道徳律を基準として批判的な目で支配階級をみるようになってゆく。支配階級のしえる道徳をタテマエどおりうけいれ真摯な自己規律を実践しておればおるほど、その道徳律をタテにとった支配階級にたいする批判はきびしいものになる。私は、近世から明治にかけての民衆闘争をささえる論理は、こうした道徳主義であったと思う。……儒教道徳の普遍主義駅側面を民衆の立場にたって実践化してゆけば、変革的な論理がうまれざるをえないのである。」(「民衆道徳とイデオロギー編成」p72~75)


9.サバルタンを語るために
「ここまでわたしが論じようとしてきたのは、多くの場合にフーコーのアピールの説明理由となっている被抑圧者たちの連合のポリティクスに実質論的なかたちでの関心をよせることは知識人および事実上そのアピールをつくり上げている「具体的な」抑圧の主体がそこでは特権化されているという事実を隠蔽することになりかねない、ということであった。」(「サバルタンは語ることができるか」p64)


「問われなければならないのは、自民族中心主義的な主体があるひとつの他者を選択的に定義することで自己を確立してしまうのを避けるにはどうすればよいか、ということである。これは主体そのもののための企てではない。むしろ、善意に満ちた西洋知識人のための企てである。」(「サバルタンは語ることができるか」p65)


「安丸 歴史を大きく見渡したときに持続的に闘われる民衆運動は、やはり宗教との関係を抜きにして考えることはほとんど不可能でしょう。それに日常生活自体は近代の生活様式にしたがっていても、自分の存在を脅かされるような異常な状況になったときには、宗教の果たす役割はやはり非常に大きいと思います。その意味で宗教を媒介にして民衆について論ずることは非常に重要だと思います。
問題は、ではそうした観点を重んずるとしても、それで本当にサバルタンが語れるのかということです。宗教という素材がある場合には、私たちはある程度までサバルタンについて語れると思うのですが、そういう素材も欠如しているときは、サバルタンの言葉をどこに求めたらよいのか?」(「<対談>今、民衆を語る視点とは? 民衆史とサバルタン研究をつなぐもの」p295)


引用文献一覧
沢木耕太郎「クレイになれなかった男」『敗れざる者たち』(文芸春秋 1976.6)
安丸良夫「民衆道徳とイデオロギー編成」『日本の近代化と民衆思想』(青木書店 1974.9)
安丸良夫、タカシ・フジタニ「対談 いま、民衆を語る視点とは?――民衆史とサバルタン研究をつなぐもの」『世界』663号(岩波書店 1999.7)
ハンス=ゲオルグ・ガダマー/轡田収, 巻田悦郎訳『真理と方法 第二部』(法政大学出版局 2008)
ガヤトリ・スピヴァク/上村忠男訳『サバルタンは語ることができるか』(みすず書房1999.7)