『北北西に進路を取れ』

北北西に進路を取れ 特別版 [DVD]

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この映画のストーリィを要約するのは難しいのだが、つまり、FBIのスパイと間違えられた男が悪人たちに誘拐されるのだけど、男はなんとか逃げ出して、自分が間違えられたスパイ本人を探し出して真相を究明しようとする。途中で「おっ」と思うような見事な展開もあって、2時間ちょっとの間退屈することがなかった。
観ている最中はいろいろ思うところがあったのだけど、クライマックスのモンタージュでそれが全部吹き飛んでしまった。いい意味で脱力したよ……。あと、終盤になって「機密情報の入ったフィルム」がマクガフィンとして登場するのだけど、こちらは上手く機能していなかったように思う。『汚名』のウラニウムと比較すれば、意味がありすぎてつまらない上に、ストーリィの中心から外れてしまっている。
物語のハイライトとしては、何もない荒野に誘い出された主人公がレシプロ機の襲撃をうけるシーンと、アメリカ大統領の肖像が彫られたラシュモア山の崖っぷちで行われる追いかけっこ、このふたつが挙げられる。
まず前者についてだが、主人公がその荒野にたどり着くと音楽が止み、静寂があたりをつつむ。確かにそのあたりには、音を出すものが何もない。そして角度を変えながらロングショットで何度も映し出される、何もない風景。このシーンでの空間表現の秀逸さについては言葉にし辛い。そこにレシプロ機が襲いかかる。荒野のど真ん中で、スーツを着た男が飛行機に襲われる、というジョークのような設定。主人公が立つべき位置を失い、音楽も消えたこの逃走劇はまるで物語の枠から飛び出してしまったようにも見える。最後には飛行機が通りかかったトラックと衝突し、主人公は難を逃れる。そこでようやく音楽がなり始め、脱臼してしまった時間がふたたび接続されるのである。
そしてラシュモア山での追いかけっこだが、アメリカ大統領の巨大な肖像と、それに比べてあまりに小さな主人公たちの対比が反復される。最大から最小へ。これで思い出すのが、他の映画ではなく、『最終試験くじら』というゲームのOP映像だという辺りが僕のダメなところなのだろう。ただ、大きなものが小さく、小さなものが大きくなることの快感をこの上なく見事に表現した映像なので、機会があれば一覧することをオススメしたい。
最後に総論的なことも。ヒッチコックの映画を語る上で、舞台装置のリアリティに関する強いこだわりは重要な点であると思う。何らかの実話を元にした話なら、実際の場所を、それが不可能なら実際の場所をそのまま模したセットを作る。シナリオの非現実性に比べて、この「場所」への執着は何を意味しているのだろうか。
台詞にたよらず、というか台詞を裏切る形で感情を表現しようとするヒッチコック映画において、登場人物がどこにいるのか、ということが読解の手がかりとなる。群集とはすなわち逃げ道をふさぐ牢獄であり、曲がりくねった階段は変心に至るまでの道筋であり、車とは近くにいる人との接触を禁じる葛藤の場である、という風に。人物の感情が常に矛盾を孕んでいるのに対し、「場」の持つ性質は一定であり、音楽と共に物語の基底となっている。それを裏切り、対立する台詞やシチュエーションをぶつけることであらたな展開への導入にする。それだけに観客と「場」の持つ意味を共有することが必要であり、その手段がリアリズムなのだろう、と。
さらに言えば、ヒッチコックの強さとは映像によってどのような矛盾を含んだ感情でも表現できる、という確信であると思う。あるいは、映像によって表現できない「語りえないもの」を決して扱おうとしない、娯楽映画の監督としての割り切り方なのか。