石牟礼道子『苦海浄土』
- 作者: 石牟礼道子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2004/07/15
- メディア: 文庫
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「二つの物体が同一の場所を占めえないように、ある人の立場が他者の立場に一致することはない。他者によって見られ、聞かれるということが意義をもつのは、あらゆる人々が異なった立場から見聞きしているという事実のゆえである。ここにこそ公共的な生(public life)の意味がある」
―ハンナ・アーレント『人間の条件』―
石牟礼道子『苦海浄土』と色川大吉『不知火海民衆史』はともに民衆の立場に即して水俣病を取り上げた作品であるが、前者の「私小説的」「幻想的」文体に対して後者が「客観的」「即物的」文体を取りつつ、後者の方にむしろ押し付けがましい印象を受けるのは、「公共的な生」というアレント的な問題と関係があるように思われる。
ある人物が「他者」として自分の前に現れるのは、その人物に対する予見が裏切られ、自分とは共役不可能な生を生きるものと見なしたときである。自分は他者の生を生きることは出来ないからこそ、他者の言葉を聴きたいと思う。そんな時にこそ公共的な言説は可能になる。「複数の視線によって別々に作られた問題」が寄り集まることで「ひとつの問題」として認識されるのであり、自分から離れたところに問題があるわけではない。「ひとつの問題」を認識する人間がひとり抜ければ、少なくとも「ひとつの問題」のある部分は消滅してしまう。だからこそ、「ひとつの問題」を誰かと共約しているからといって、誰かと自分の認識が取替え可能なものとして扱えるわけではない、という自制心が必要なのである。