近代日本における統治権力の浸透過程について

ガルブレイスの「不確実性の時代」で、第二次大戦を経験した人はそれが時代を変えた分水嶺だと思いたがるけれど、社会的な観点から見れば第一次世界大戦において決定的な変化が起こったのだと言っているが、まったくその通りだと思う。日本社会においては「進歩的知識人」と呼ばれる人(南原繁とか)も含めて、第二次世界大戦の前後における日本の連続性をなんとか保とうという試みがなされた。それに比べれば、第一次大戦の前後における変化というのは、それが無自覚であった分よけいに大きかったと考えられる。「近代」と「現代」の境界を第一次大戦の辺りにおく人も結構いて、その二つを区別する必然性がわからんという話はともかく、資本主義のオルタナティブが登場したという意味であの時期が重要だということは間違いないだろう。日本においてフーコー的な統治権力が確立されていくのは、おそらくあの頃からだろうと思う。それはまず第一次大戦の影響であり、それと米騒動の影響なんだけど。
フーコーで思い出したが、近代日本おける統治権力の浸透過程をフーコーの「抵抗」概念を用いて上手く描くことが出来ないだろうか、なんてことを考えている。権力は被統治者の抵抗を通して初めて末端まで浸透することが可能であり、同時に統治権力の建前が被統治者の抵抗の可能性として表れるのだ、と。こうして書くと抽象的だけど、自分の中では割と具体的な像が描けているんだよね。少し前にナショナリズムパトリオティズムの結合について書いたけれど、「ナショナリズム化されたパトリオティズム」が、地域における抑圧性に対する反抗の根拠となり、同時にナショナリズムを浸透させていくのだ、と。
青年団を例に挙げるなら、先述した「ナショナリズム化されたパトリオティズム」を根拠として、青年団は地元の改善事業を行うよう、国によって強制されていく(郷土の改善はすなわち国の改善である、という風に)。それはある時点で地元の利害と対立せざるを得ないのだけど、しかし、地元の利害関係に対して従属的な立場に立たされていた青年団は、その自立性を確保するためにむしろ「ナショナリズム化されたパトリオティズム」を内面化し、国家の利害を振りかざして地元の利害関係から自立しようとする。それによって国家権力は青年団を通して末端まで浸透していくことができる。
こういった事例をさらに遡って求めるのなら、廃仏毀釈に行き着くだろう。なぜ廃藩置県前の諸藩、そして地方の諸団体が「神仏分離」という中央政府からの命令を、中央政府が意図した以上に実行したかという点は上記のような理論によって説明できるように思われる。中央政府の命令を地方が独自に読み代え、都合のよい形で内面化する。それによって地方は自立性を維持しようとするが、内面化されたが故に中央政府の命令を拒否する根拠もまた失われていき、統治権力は徐々に浸透していくのである。