無着成恭編『山びこ学校』

山びこ学校 (岩波文庫)

山びこ学校 (岩波文庫)

「わたしが、『山びこ学校』を読んで、一番強く印象づけられたのは、つぎのようなことである。それは、生徒も先生もひとりひとりの生徒が持ち出してくる具体的な暮らしの問題を、「自己をふくむ集団」の問題として、一緒に考え、解決しようと努力していることである。
(中略)
鶴見俊輔は、日本人の考え方、とくに明治以後「近代化」のかた棒をかついだ日本のインテリの考え方の特徴が「ヘテロロジカル」であることを、指摘した。学者が「日本人」の「啓蒙」、「近代化」、「民主化」の必要を力説するとき、それを説いている学者自身は「日本人」のひとりとして自己を意識せず、したがって、かれら自身は、「啓蒙」、「近代化」、「民主化」のラチ外にあるものとして、議論していることが、明治以後の日本の思想の根本的な弱さであることを彼は指摘している」
鶴見和子「解説」(『山びこ学校』より)―

これまでにも何度か取り上げてきた色川大吉の「民衆史」「自分史」に見られるような個人の浮かび上がらせ方、つまり「ナショナルヒストリーと自己の関連」を、『山びこ学校』を書いた中学生たちはかならずしも意識していないのだけど、極めて冷静な社会批評になり得ている、という点に本書の面白さがある。彼らの意見は彼ら自身の立場と不可分なものとしてあり、そして、彼らひとりひとりの社会認識と離れたところに大文字の「社会」があるわけではなく、彼らのうちのひとりが消えれば「社会」のある部分も消えてしまうだろう。

「生活綴り方運動というのは、絵とか素材の形で思想をぐっとつかむ。文章よりも、文章を生み出した状況そのものとしてつかむ。(中略)つまり問題によってつかむのじゃなくて、問題状況によってつかむ」
――鶴見俊輔他『現代日本の思想』―ー

この「問題」や「目的」へと還元されない過剰性がかえって普遍性を生み出しているような気がする。「問題」は共有することが可能だが、「共有すること」は「共有するべき人/しなくてよい人」の間に線を引くことでもある。過剰性は我々を「分有」の可能性へと導いて行く。「問題状況」は固有のものであり、共有することはできない。しかし、だからこそ、それぞれの立場の痕跡を刻みながら、同一化の欲望を常に挫折させられながら「分有すること」――誰の排除も伴わずに共通の問題として取り上げることが可能となるのである。

「教師は、詫びることによって常に平等の地点にかえる。(中略)人間の本然の相は平等なんだ。ところが教育をしなければならないとか、政治をしなければならないという、暫定的な目的のために不平等な仕組みを仮に作る必要がある。しかし、その仮の不平等は、当面の目的である1つの仕事が終わると同時に、すぐに打ちこわされ、撤去されねばならない。これが無着成恭の方法です」
―『同上』――

自分に向けて自分を語る、というのは意外と難しい。日記は3日坊主で終わってしまうが、ブログなら長続きすることもある。「国」や「社会」「家族」に向けて語ることを通して、間接的に「自分」へと語りかけることができる。そうである以上、自己の問題を語る『山びこ学校』であっても自己と外部との接続、その際に生じる指導者意識とは無関係ではない。

マルクスには、リベラリズム時代の「ブルジョア国家」における政治の諸制度を道具的に捉える傾向があった。(中略)だが、決定的にまずかったのは、そうした鋭い分析にも関らず、自分たちの労働運動と、国家におけるデモクラシーの諸制度についても、ブルジョアジーに彼が認めたこうした道具主義的な理解がいわば乗り移ってしまったことである。いや、それどころが「ブルジョア階級」よりもよりいっそう徹底したシニカルな理解にはまりこんだことである。(中略)そこでは、使われる言語も自ずから道具的な使用を蒙ることになる。たとえ解放や自由についてのいかなる「崇高な」表現が使用されようともである。相手が納得するよりも、言い負かし、いい倒すことが主眼となる。
(中略)
知識人なるものに対する潜在的な不信の念が広がった遠因のひとつはおそらくこのあたりにもあろう。つまり、このような理解(制度に対する道具的理解)をするかぎりは、古典的な身体労働と頭脳労働の分離を非難しながら、それを非難する本人自らは頭脳労働の側に立ち、労働者との「連帯」を唱え、大衆」への信頼を語り続けることになり、そのような態度に、どうしても「矛盾」が感じられてしまうのは避けがたいことになる。道具主義的な理解と指導者気取りは同じコインの表と裏である。
(中略)
数学の応用問題で解けない方程式を作ってしまったら、それは方程式の作り方が悪い証拠で作りなおしとなるが、「知識人」は方程式の解けなさに、そして、色々いじっていると無限に書き直しができ、無限に解けない方程式が出てくることに酔うふしがある。
そのことに早く気づいて、今度は必要な変数も入れずに、方程式を簡単にしてしまったのが、つまり、社会的上昇をする自分の客観的位置に即したかたちで簡単にしてしまったのが、かつての左から右に大きく抜けてしまった人々である。(中略)彼らはデモクラシーの諸制度や価値に対する左翼の道具的理解に由来する矛盾を、それと明確にはできないままに、そして道具主義的でない理解を探求することなく、むしろ一人一人の行き方の欺瞞と感じ取る神経のあり方をしていた。それゆえに彼らも、「矛盾を生き抜く」という擬似英雄主義の言辞を継承することになる。
公共圏という発想が社会を論じるときに不可欠なのは、まさにこうした解けない矛盾のかたちで問題を出さないためであり、(特に左に強かった)特権性と独善性が自ずから消失するような、発言のシンメトリーの枠組みを可能とするためであり、そしてなによりも、戦争の手柄話をするのと同じに学生運動の「活躍」ぶりを話しながら、「矛盾」を生きないですむためである。その点は、すでにカントが「啓蒙とはなにか」で、理性の公的使用と私的使用を区別し、それによって「ものの考え方が拡大する」ことへの希望を述べることで解決をめざしていたことの延長である。カントにもまだ潜んでいた市民社会リベラリズムの弱点は、「発話内行為」にもとづく日常の「行為強制が免除される」場としての公共圏を論じるハーバーマスの議論の中である程度解消されることになった。デモクラシー国家の諸制度への新たな、道具主義的でない対応、いやそうした諸制度の創設を可能とする芽が潜んでいるかもしれない」
――三島憲一「公共圏の難しさ」(『現代思想』2002年5月号)――