2011-08-08
- まあ、「社会」と「社会的」も似たような感じか。「
- よく考えると「経済的」という言葉の用法は不思議だ。要するに「安い」ということなんだけど、「経済」が価値中立的で間主体的な言葉であるのに対し、「的」がつくと肯定的で主体的な言葉になる。
- 今後早期退陣する首相に対しては「意志薄弱」「菅にくらべて粘りが足りない」とか書かれたりするのだろう。
- 結局本人が辞めるといわなければ首相を辞めさせることってできないんだなぁ、と今更のように思う。
- 歴史認識が相対的だというわりには、何が重大な事件で何がそうでないかが争点になることは少ないし、個と全体を結ぶあいまいな決定論だとか、「全体化」への欲望だとか、社会認識の諸前提が問われることはない。偽史なら偽史でいいけど、ふつうすぎることが問題。
- 正しく懐疑することは難しい。まだまだ懐疑が足りないところもあるし、懐疑しすぎなところもある。歴史学で「認識の相対性」が云々されるときに思うのは「懐疑が足りない」ということだし、「国民国家とナラティブ」が云々されるときに思うのは、懐疑しすぎだということである。
- 歩いているときに文章が浮かぶので、私はあいふぉん的な何かで論文を書くべきなのかもしれぬ。
- 『星空☆ぷらねっと』を読み返したくなった。
- 「障害を持ってたら、TVアニメのヒロインになる権利もないんですか?」http://t.co/gZqNL1V
- 『社会構造とゼマンティク』が出るのであれば、本気でルーマンを勉強せねばなるまい(全巻そろうまで時間かかりそうだけど)
- 「フーコーの売り子」(おそらく出版社の営業だろう)
- 晴れ男とか雨女とか、自分が天候を左右しているなんて誇大妄想が過ぎるのではないか。
- 格付け会社で働いていたら、その全能感たるやすさまじいものがあるだろう、と想像。
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