「桃太郎」と鬼について

「かちかち山」が記憶していたよりもずっとグロくて驚いたよ。という話はさておき、今回は「桃太郎」について。
桃から生まれた桃太郎が犬・猿・雉をお供につれて鬼退治、財宝を鬼ヶ島から強奪して……もとい、持ち帰りましためでたしめでたし、という日本でもっとも有名な昔話だが、ここではあえて桃太郎ではなく「鬼」について考えてみよう。まずは『出雲風土記』から。

古老の伝へていへらく、昔、或人、此処に山田を佃(つく)りて守りき。その時、目一つの鬼来りて、佃る人の男を食ひき。

「鬼」という言葉が出てくる最初期の話だが、一つ目、食人といった鬼の特徴は既に見ることが出来る。一本足の場合もあるが、これらの特徴は端的に身体的不具性、そして死霊のイメージを表したものであると言うことが出来るだろう。
もともと日本の「鬼」はモノと訓まれて、見えない霊や物の怪を表しており、死霊を意味する中国の「鬼(キ)」とは別の概念であった。しかし、両者がかなり早い時期から混同されたことにより、鬼に「死者が生者を自分の世界に引きずり込む」人食いのイメージが付与されたと考えられている。
しかし鬼は、最後には退治される存在であり、さらには人に富をもたらす福徳神としての性質を持っていたことを見逃してはならない。「桃太郎」がその代表的な例だが、源頼光によって討伐された酒天童子も、のちには首から上の病気を治す神として祭られている。また、『宇治拾遺物語』には信心深い人の下に毘沙門天の使いとして鬼が現れ、米を与えたという話も書かれている。
こういった鬼の多義性について、まず鬼が神(鬼神)でもあるという二重性を指摘することが出来るだろう。そして鬼は外からやってくる「マレビト」でもあった。「福は内、鬼は外」という掛け声は室町時代の半ばから使われているらしい。しかし、僕は鬼が当時の日本人から見た外国人の姿であるといった説明にはむしろ反対で、共同体内部の問題を外の問題として表現したもの、という解釈をとる。貧困が貧乏神のせいにされるようなもので。

樋口一葉『たけくらべ/にごりえ』

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

近所の古本屋にて、一冊50円で購入。
大変に格調高い文章で、ワンセンテンスが非常に長く、中々読点に至らない。一字一句として読み飛ばすことを許さないような文体で、短い話のわりには読み終えるまで結構な時間がかかった。物語の構成においてはどちらの作品も、中盤までの日常描写と終盤に見せる急展開とで落差をつけ、そしてあっけなく幕を閉じる。だが、そのあっけなさがかえって登場人物たちの悲哀を感じさせる。
ちなみに、明治中期という時代は『女学雑誌』などの女性啓蒙雑誌を舞台に、ほとんど無数といってよいほど数多くの女性の文学者を生み出した。中島湘烟、木村曙清水紫琴etc……。しかし、そのほとんどが時代を超えて読み継がれる作品を生み出せなかったのに対し、ひとり樋口一葉だけが名前を残している。
その樋口一葉が描いたものとは何だったのか。それはある種の葛藤、「私」と「女性」との葛藤であったように思われる。彼女自身が父と兄の死を契機とした貧困によって社会に放り出され、その中で女性であることによる困難に直面しているように、一葉が描いたのはそのような葛藤の中で「女性になる」物語であった。

たけくらべ
何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手して飯事ばかりして居たらばさぞかし嬉しき事ならんを、ええ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやうに年をば取る、最う七月十月、一年も以前に帰りたいにと老人じみた考へをして……

吉川幸次郎・三好達治『新唐詩選』

新唐詩選 (岩波新書)

新唐詩選 (岩波新書)

国語は好きだったが、国語の授業は嫌いだった。要するに人の話を聞くのが退屈だったので、いつも授業の内容とは関係のない小説や詩を読んで時間を潰していたのである。特に漢詩にはお世話になった。
この本を買った理由は、その懐かしい友人に会うため、というのがひとつ。もうひとつは、自身が文章を書くようになって、行から行への「飛躍の力学」を学びたい、と思うようになったため。
詩に限らず、文学はそれを必要だと思ったときに読むのが一番楽しい。教養だからって読みたくもないときに読んでも身につかないだろうさ、と。
それにしても杜甫の詩の面白さと言ったら。特に「国破れ山河在り」というフレーズは何回読んでも凄い。

春望     春の望(なが)め

国破山河在  国破れ山河在り
城春草木深  城春にして草木深し
感時花濺涙  時に感じて花も涙を濺ぎ
恨別鳥驚心  別れを恨みて鳥も心を驚かす
烽火連三月  烽火は三月に連なり
家書抵万金  家書は万金に抵る
白頭掻更短  白頭の掻きて更に短く
渾欲不勝簪  渾べて簪に勝えざらんと欲す

流れ行く時間と、確固として「在る」自然との対比。地に咲く花と、空を行く鳥。家族に対するストレートな愛情表現、鬱々とした杜甫の心情。そういったダイナミックな対比構造と、近いフレーズを繰り返すリズムの良さ。いつも鞄に入れておきたい類の詩だと思う。