樋口一葉『たけくらべ/にごりえ』

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

にごりえ・たけくらべ (岩波文庫 緑25-1)

近所の古本屋にて、一冊50円で購入。
大変に格調高い文章で、ワンセンテンスが非常に長く、中々読点に至らない。一字一句として読み飛ばすことを許さないような文体で、短い話のわりには読み終えるまで結構な時間がかかった。物語の構成においてはどちらの作品も、中盤までの日常描写と終盤に見せる急展開とで落差をつけ、そしてあっけなく幕を閉じる。だが、そのあっけなさがかえって登場人物たちの悲哀を感じさせる。
ちなみに、明治中期という時代は『女学雑誌』などの女性啓蒙雑誌を舞台に、ほとんど無数といってよいほど数多くの女性の文学者を生み出した。中島湘烟、木村曙清水紫琴etc……。しかし、そのほとんどが時代を超えて読み継がれる作品を生み出せなかったのに対し、ひとり樋口一葉だけが名前を残している。
その樋口一葉が描いたものとは何だったのか。それはある種の葛藤、「私」と「女性」との葛藤であったように思われる。彼女自身が父と兄の死を契機とした貧困によって社会に放り出され、その中で女性であることによる困難に直面しているように、一葉が描いたのはそのような葛藤の中で「女性になる」物語であった。

たけくらべ
何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手して飯事ばかりして居たらばさぞかし嬉しき事ならんを、ええ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやうに年をば取る、最う七月十月、一年も以前に帰りたいにと老人じみた考へをして……