古河財閥について

劇場版『空の境界』が大阪でも上映されることが決まり、東京へ行く必要性が少し減った。ただ、ずいぶん前から行きたい行きたいと思いつつそのままにしている、旧古河邸と東武ワールドスクエアには早い時期に行きたい。前者に関しては、ほんの数週間前にもチャンスがあったのだが、結局行くことが出来なかった。思い出したら悔しくなってきたので、今日は古河財閥について書き殴っておこう。


財閥とは何か。現在でも三井や三菱、住友、安田、野村などは旧財閥の企業集団であると呼ばれることがある。ただ、あくまでも「旧」財閥であって、現代の財閥ではない。
基本的に財閥とは、富豪の一族によって独占的な支配を受ける、多角的事業経営体を指すときに使われる言葉である。会社の形態、資本の大きさは財閥によってそれぞれ異なるが、トップに創業者一族を置いていることは共通している。三井の場合は番頭に権力を与える伝統があることから一族はあまり表に出ないが、三菱では岩崎家が強い権力を持っている、というような違いはあるのだが。


財閥の起源は、わずかな例外を残して2つに分けられる。ひとつが政商、もうひとつが鉱山。政商タイプが三井・三菱・安田、鉱山タイプが住友・古河などである。
まず政商タイプの三井だが、三井家は元禄時代から幕府の為替業務を代行してきた歴史があり、明治維新後も政府の金融事業に関わってきた。同じような歴史を持つ一族として小野家・島田家があり、三井家と合わせたこの三家が政府から官金取り扱いの特権を与えられていた。
従来、政府はこの三家から、官金預り高の3分の1を抵当として差し出せていた。ところが明治七年、政府はその規定を改め、官金預り高と同額の抵当を差し出せることにしたのである。この結果、積極的に貸し付け、投資を行っていた小野家・島田家は倒産に追い込まれ、総預金に占める官金の額が比較的少なかった三井家は政商路線を継続していくことになる。


ここからが古河財閥の話。創業者の古河市兵衛は、先述した小野家の支配人のひとりとして、政府から預かった官金を使い多数の鉱山を獲得、経営した。この経験を生かし、小野家倒産後は鉱山業者として独立することになるのである。古河財閥がなかなか自前の銀行を持とうとせず、結果、四大財閥に差をつけられることになったのも、小野家倒産時の苦い経験に基づいているのだろう。
当初、生糸貿易も行っていた古河家だが、それに失敗した後、銅山経営に特化していくことになる。鉱山経営の近代化に関しては日本で2番目に水力発電を導入するなど、パイオニア的な事業を多く行っており、その結果、明治二十四年には足尾銅山を中心とした古川家の産銅量が全国の40パーセントに到達し、着々と財閥化を進めていった。
ところがこの後、同じ鉱山財閥の住友家が多方面に事業を展開していったのに対して、古河家では林業や銅線の製造など、きわめて限られた分野にしか手を出さなかった。その代わりに銅山の買収を進めていくことで、ますます銅山経営への特化を強めていった。


しかし、創業に関わっていた主な人たちが亡くなる、あるいは役職を退いた大正以降、古河財閥はかえって積極的に多角経営を進めていくことになる。もともと古河財閥内にも多角経営の遅れに対する焦燥感が存在し、そこに第1次世界大戦による好景気が訪れたことで、大正六年に古河商事、東京古河銀行を設立するなど、短い期間に多数の新事業を開始した。
ところが、これが大失敗に終わる。古河商事は大連取引所の思惑的雑穀取引の失敗から、設立からわずか3年で6000万円の損失を計上、破綻した。これによって古河財閥の資産は大幅に減少、古河銀行も低迷を続け、以後、関連企業はその必要資金を銀行、しかも財閥外の銀行に依存せざるを得なくなり、利子の支払いに苦しめられることになる。

もう少し第1次大戦と財閥の関係について考えてみよう。戦前の資本額では、三井、三菱、安田の順に多く、住友と古河、藤田、久原では住友がやや多い程度で大きな差はないとされていた。
戦中の好景気に乗って、三井、三菱の下位にあった財閥がこれを追い越そうと貿易事業や重化学工業、あるいは金融業に手を伸ばした。しかし、大戦が終わって戦後不況が訪れると、そういった積極的な結果はおおむね財閥にとって不利なものでしかなかった。また、戦後10年間は鉱山不況の時期でもあり、多かれ少なかれ鉱山に手を出していた各財閥にとってはこれもマイナス要因であった。
結局、どの財閥にとっても状況は芳しくなかったわけだが、そうなると明暗を分けるのは人材と資本の蓄積である。早い時期から多角経営を進め人材の育成に努めてきた三井・三菱・安田・住友は損失をそこそこに抑え、下からの突き上げでいきなり貿易に手を出した古河は四大財閥に大きく差をつけられた。
こうした中で、各財閥はそれぞれ方針転換を余儀なくされる。特にその中心事業である鉱山業が不況に陥った古河では、重化学工業にその活路を見出すわけであるが、長くなったので今回はこれくらいで。