アルベール・カミュ『異邦人』

異邦人 (新潮文庫)

異邦人 (新潮文庫)

勝手にカミュのことを実存主義者だと思い込んでいて、そのつもりで『異邦人』を読んだので少し戸惑ってしまった。というか、これはむしろ正反対ではないか?
実存主義の考えでは、私たちが住んでいる世界は既に意味で満たされており、人間はその中に放り込まれている。そのため、人間はどうしようもなく環境に支配される。ただ、人間は主体性を持っているのだから、それを発揮して環境と自分を変えていくことが期待されている。
それに対して『異邦人』は、最初に存在するお仕着せの意味を一切認めようとしない。おそらく序盤で大半の読者を辟易とさせる、ひどく断片的で一貫性のない叙述スタイルも、その「意味」に対する反抗として理解できるだろう。主人公のムルソーが好むのは太陽の強い日差しである。そこには影がない、ということが重要だ。

しばらくして、マリイは、あなたは私を愛しているかと尋ねた。それは何の意味もないことだが、恐らく愛していないと思われる――と私は答えた。
カミュ『異邦人』新潮文庫 38P

ムルソーは正直であることにこの上ない価値を見出している。たとえ、母親の葬式で泣かなかっただけで自分を死刑にするような「異常な」社会に生きているとしても。だから、ムルソーは自分のことを幸せな人間だと思っている。この点は、マロニエの木から意味が失われたことで吐きそうになったロカンタンとは対照的かもしれない。