終戦と天皇制

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)

最近『八月十五日の神話』という新書を読んだのだが、これが中々興味深い内容だった。
毎年八月十五日になると先の戦争のことが語られるが、国際的にはポツダム宣言を受諾した八月十四日、もしくは降伏文書に調印した九月二日が「終戦の日」となるはずである。事実、終戦から10年ほどの間は「八月十五日=終戦の日」という合意は日本人の間でも取れていなかった。このような疑問から出発し、著者は玉音放送の八月十五日が終戦の日となるに至った過程を追っていく。
第1章の結論部では

「九・二敗戦」ではなく「八・十五終戦」が記念日に選らばれたのは、加藤典洋が『敗戦後論』(1997年)で指摘したように、国民の多くは「敗れた」という声を発すべきところで、「喧嘩はよくない」と声をあげたためだろう。(中略)つまり、日本人は戦争に負けたという事実から目を背けたのである。

この辺は確かにその通りで、玉音放送が(特にアジア諸国との戦争に関して)勝ったのでも負けたのでもなく、ただ「終わった」というイメージを植えつけたことは現在にも影響を与えている。また、第2章に描かれているお盆と終戦の日の関係は、戦後まもなく柳田國男が『先祖の話』を上梓し、敗戦によって失われた戦死者の「死の意味」を、敗戦によっても失われることのない「家」や「民族」の中に取り込もうとしたことによっても裏付けることが出来るだろう。つまり「家族を守るために戦って死んだ」という枠組みの創造である(当然だがこの枠組み自体は批判されるべきだろう。なぜなら戦死者は国家のために死んだのであり、家や先祖のために死んだとは言えないからだ)。


それにしても、玉音放送を通じて広められた天皇の「聖断」と、(戦犯対策としての)「『例外として』政治に口を出した天皇」「平和を愛する天皇」イメージの拡大についてほとんど触れられていないのは、やはり片手落ちだろうと感じられた。出発点は間違いなくそこであり、軍部に戦争責任を押し付けてしまうには「天皇の聖断で戦争が終わった」という八月十五日終戦説は都合が良いものであった、と言えるからだ。
ポツダム宣言受諾の経緯について現在の視点から考えてみると、2つの重要な事実に気づく。1つはそれが「国体護持のための終戦」という意味合いを強く持っていたことであり(終戦詔書にも「朕は茲に国体を護持し得て忠良なる爾臣民の赤誠に信倚し〜」とある)、もうひとつは「国体護持」が必ずしも昭和天皇個人の免罪をその条件とはしていない、ということである。例えば1945年4月、重臣グループの間で和平工作を行っていた近衛文麿は、観念的右翼である平沼騏一郎の態度に触れながら、海軍内の和平推進派である高木惣吉少将に対して以下のように語っている。

平沼男(爵:引用者)は、米国が国体を否認するという報道が出てから、それが強く響いたようです。特に今上陛下の戦争に対する御責任を敵に追及されるということは、臣子の分として看過出来ぬから、あくまで戦うほかないと云うのだが、私はその点は多少意見が違うので、国体の否認ということと、陛下の御責任ということとは、必ずしも同一事項ではないと思う。
  (『高木海軍少将覚え書』)

その3ヶ月まえには、近衛は京都の陽明文庫に岡田啓介、米内光政、仁和寺の門跡岡本慈航の三人を招き、天皇の退位が話し合われたという。出家した天皇を門跡として仁和寺に招くという、事実上の幽閉計画である。
もうひとつ印象的な挿話として、学習院時代の昭和天皇に駄菓子を与えたため処罰を受けた大河内光孝の事例を挙げることができだろう。彼は学習院の小学校で、何となく寂しそうにしている下級生(後の昭和天皇)を見つけ、その子にお菓子を与えた。それが当時の学習院長であった乃木希典に見つかり、大騒ぎになったのである。こうして「昭和天皇という個人」に対して好意を抱いていた大河内は学習院を追い出され、後に横浜事件で投獄され、天皇の名の下に拷問を受けることとなった。
これらの事例は一見すると天皇制の「例外状態」を示しているようだが、ある意味では「天皇の非個人化」と「聖恩の制度化」は近代天皇制の本質と深く関わっていると言える。前者は明治中期ごろから、後者は明治後期の恩賜財団済世会の設立にその端緒をみることが出来る。
近代日本は天皇個人が国民ひとりひとりを支配したのではなく、家という制度が天皇制という制度によって権利を保障され、その代わり家は天皇制の支配に服すという、「制度が制度を支配する」構図となっていた。この重層構造により、個人が個人を支配することのストレスは回避され、天皇制は公権力としての一般性を確保し、「自分の生きてる間に不自由しないお金があればそれで十分」な個人は子孫に受け継がれる分の利益まで追求する「家」に回収されることになるのである。