竹村民郎・鈴木貞美編『関西モダニズム再考』
- 作者: 竹村民郎,鈴木貞美
- 出版社/メーカー: 思文閣出版
- 発売日: 2008/02
- メディア: 単行本
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やはり、最後の鈴木論文「モダニズムと伝等、もしくは「近代の超克」とは何か」が頭ひとつ抜けて優れている。各分野における近代の定義から始まり、明治期における近代思想(自由・功利主義・進化論)の日本的な受容、伝統の見直し、近代美学論の変遷といった風に様々な分野を横断しながら、「近代」の見取り図の再編を促している。近代思想の受容の部分では
明治初期に西洋の哲学を受け止めた啓蒙家たちは、最初は、それを「天理」と説く「理学」と訳した。朱子学にいう「天理」が自然の法則性と人間の営みの原理とを、ともに含むものだったからである。そのことが自然科学的法則性と社会規範の原理とを未分化のままにし、乗り移ったり、ご都合主義的にとりかえたり、あるいは融合させたりすることを容易にした。明治中期にあっては、宇宙の法則から社会の法則までのすべてを最適者生存の進化論で説くスペンサー哲学の受容がそれを裏打ちした。
というのはたぶん一般的な理解なんだろうけど、あまり知らない分野なので勉強になった。要するに前近代の思想がバイアスとなり、いかに西洋思想が日本的なものへと換骨奪胎されたかを重視する議論である。あと、20世紀初頭における自然主義の没落と象徴主義の勃興の中で『新古今和歌集』の再評価が進められ、その特徴が「幽玄」でまとめられたことについて
明治期に「幽玄」の語は、ほぼ現象の背後の神秘(mystery)の訳語として用いられていた。それゆえ、「幽玄」の形象を象徴(シンボル)と呼べば、それで象徴芸術の理念は成立するからである。
重森三玲の著作を読むと頻繁に幽玄という言葉が出てくるのにはそのような背景があったのか、と納得した。