徳永直『太陽のない街』―労働運動の挫折

太陽のない街 (1950年) (岩波文庫)

太陽のない街 (1950年) (岩波文庫)

読了。つまらない作品だろうと覚悟して読んでみたが、意外と読ませる作品だった。台詞、改行がやたらと多く、事件が次々起こるので「これ何てライトノベル?」という感じ。
1926年に起こった共同印刷争議をモチーフにしたこの作品。確かに読み物としては面白いが、人物の名前が少しだけ変えられていること、それとプロレタリア文学らしくラストにやや含みを持たせていること、それらを除いてもこの時代の空気を上手く反映しているとは言いがたいのではないか。特に、解説で作者自らが認めているように「自然発生的な労働者気質の無条件是認」と、訓練を受けていない「未組織大衆」に対する蔑視的な感覚には鼻持ちならないものを感じる。

「誰かさっき、腹が減って戦争が出来るけえと云ったな――ところが、俺達の戦争はお腹がクチくてやる戦争じゃねえぞ――なあいいか、腹はペコペコでも、石に齧りついても、やらなきゃあなんねえ戦争だ――」

はっきり言って暗い。暗すぎる。確か、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』で、暗殺で藩を変えようとする土佐勤王党に対して竜馬は、「暗殺するような暗い連中に人はついてこない」という意味のことを言っていたと思うが、まさにそんな感じだ。


大正から昭和初期にかけての労働運動に対して何か話そうとすると、組織の変遷を表にするだけで半日はかかってしまう。それだけ労働運動が厳しい状況に追い込まれていたということであり、運動を困難なものにする悪い条件がいくつも揃っていた。
第一に、不況が深刻化して企業の側も必死になってきたということ。金解禁が行われ、企業が世界市場にさらされるようになると、企業の合理化が切実な問題となってきた。
第二に、これまでの経験から経営者も賢明なったということ。組合幹部の排除といった常套手段のほかに、「チチキトク」と偽電報を打って組合員を郷里に帰らせたり、暴力団に排除されたりということが当然のように行われていた。
第三に、慢性的な不況が外部の失業者からの圧力を強くしたということ。一度首を切られれば再就職が難しい反面、資本家はあとで簡単に従業員を補充することが可能だった。
第四に、それまで労働運動に対して同情的な態度を取ってきた新聞も、大正八年に東京の新聞印刷工組合が賃上げを要求してストに入ると各新聞者は一斉に休刊し、ストライキ参加者全員の解雇を申し合わせた。この事件以来労働運動に対する新聞の論調が冷淡になったという。
あとは、運動の体質的な問題か。鈴木茂三郎共産党の戦術について「共産党はいっきょになだれのごとく一つの組織の中に入ってくる。そして自分たちの目的を達するとサッと引き上げちゃう」と批判していたが、そういう傾向があったらしい。


あと、細井和喜蔵が『女工哀史』で行った以下のような指摘が、「プロ運動家」ではない、一般労働者の実感を上手く言い当てている気がする。

資本主義的諸制度の大きな組織に虐げられている労働者が、無産階級芸術に於てその作品中に現れた場合よく彼らは「社長」とか「工場」とかいう言葉を使う。社長が職工にでも談話し、一女工にもまた容易に社長と語らう機会がある。併し私にはおかしいような気持ちがする。
(中略)
今日いうところの紡績工場は、一女工に社長の名前が憶えられたり、それを憶える必要があったりする程ちいさなものではない。ましてや社長と一職工が談話を交換するなんてことは夢にもないことである。従って十年くらい勤続している一女工に向かって「社長は誰だ?」と訊いたって答え得るものは百人に一人もないことを、私は茲に保証する。