武者小路実篤『友情』

主人公は杉子という女性を好きになるが、彼女は主人公の友人である大宮のことが好きで、大宮は友情と愛情の板ばさみで苦しむ、という話。大宮くん良い人すぎ。
武者小路実篤という作家は「自分の文学の出発点はトルストイだった」としながらも、トルストイの悩んだ「霊と肉の葛藤」という難問は非キリスト教国の住人らしくさっさと通り抜け、自然の肉体や欲望の解放をテーマとした人物であった。

トルストイの云っていることには確かに真理がある。しかし肉体を有することにまた僕は人生の意味があると思い、トルストイは偉いが、自然はなお偉いと思わないわけにはいかなかった」

『友情』の構成というは、夏目漱石の『こころ』とよく似ている。しかし、その結末は全くことなるわけで、それは義理や人情といった旧来の価値観以上に個人の可能性や人間性を信頼する、白樺らしい楽観性に由来しているのではないかと僕は思う。
ちなみに、この時期の武者小路は宮崎県で「新しき村」という開拓村の建設を始めていた。彼が理想とし、この村で実現しようとした「皆がつまり兄弟のようになってお互いを助けあって、自己を完成する」ための社会は、まじめに働く人間と適当に働く人間の分裂、ひとりの女性の奪い合いといった人間的な対立を経て、やがて多くの人々が村を去っていくこととなった。武者小路自身も6年後には離村している。
大正10年に『友情』が重版されたとき、彼はこんなことを書いている。

「この小説は実は新しき村の若い人達が今後、結婚したり失恋したりすると思うので両方を祝したく、また力を与えたく思って書き出したのだが、かいたら、こんなものになった……(中略)……新しき村でこういうことが起こったらどうなるのかはまだ自分は知らない。しかしどっちにころんでも自己の力だけのものを獲得して起き上がるものは起き上がると思う」

友情 (新潮文庫)

友情 (新潮文庫)