ナラトロジー文献「本多勝一とジャーナリズム―報道を書く―」

今回も某所で報告した際のレジュメを転載。
1.報告要旨
本多勝一の文体について。一般的なジャーナリズムとの共通点と違い。
・「原風景の復元」について。事実を再現することの目的と規範性。
・「われわれ」の範囲について。報道によるコンセンサスの形成。
・「関心を持つこと」と「理解すること」について。被害者の固有性。
・同質化を回避しつつ、他者について記述することについて。


2.年表
1965年 アメリカ軍による北ベトナムへの空爆が開始される(ベトナム戦争、〜1975年)。
1967年 朝日新聞ベトナム戦争を取り扱った「戦争と民衆」が連載される。
1971年 朝日新聞で「中国の旅」が連載される。
1976年 ポル・ポト派による虐殺が開始される(〜1979年)。
1978年 朝日新聞で「カンボジアはどうなっているのか」が連載される。
1980年 朝日新聞で「カンボジアの旅」が連載される。


3.本多勝一の文体(『カンボジア大虐殺』『オーラル・ヒストリーと体験史』から)
・「事実」に対して自らの意見を加えない「証言集」のような文体
「私は「ベトナム派」でも「中国派」でもなければ、カンボジアを敵視する立場でもなく、ジャーナリストとして可能なかぎり事実(ファクト)に近づきたいと思うのみである。」(『検証・カンボジア大虐殺』89〜90頁)
「ともあれしかし、石川氏と私は「現場取材」を強硬に主張した。砲撃でもいい。犠牲者が出たら即座にそこへ直行して直接取材するのでなければ、説得力のあるルポなどは書けないのだ。」(同142頁)


⇒「今」「ここ」で完結する発話を重視。語り伝えられることで「解釈」され、変形されるフォークロアの言語観と真っ向から対立する。


本多勝一「「オーラル・ヒストリー」という言葉が、私のやりかたには合っていない。どうも混乱させて誤解を招く傾向があります。私自身はそんな言葉を使ったことがありません。……現にオーラル・ヒストリーを直訳しますと<口承された歴史><伝承された歴史>とか<語られた歴史>とかになるでしょう。むしろ、私はそうしたものを排除していますから。」(『オーラル・ヒストリーと体験史』133頁)
吉沢南「ところで、本多さんのお仕事は証言集であって、もうすこしいってしまうと、書き手が殺されているように思います。」
本多「これではまだ「私」が生きすぎているから、もっと殺すことを考えている。もっと殺すべきだと自己批判しています。」(同151頁)


フォークロアの語り手や本多勝一など、事実を受けてそれを「解釈」する主体を極力排除していく。最終的には事実を語る証言者の「解釈」も排除の対象となる。
⇒「事実の復元」「原風景の再現」。しかし、「何について語るか」という動機についての主体性が否定されているわけではない。



本多「かりに十分な取材ができたとしても、なるべくなら予測はしないようにしています。」
吉沢「取材者は、前提となる枠組とか見通しとかをもつべきかどうか。本多さんは明らかにもつべきではないという……。」
本多「意味がちょっと違うのですね。カンボジアの例でいうと、問題意識や見通しはあるべきだと思います。しかし、問題意識と予測とは違うと思うのですね。カンボジアに虐殺があったのか、なかったのか、これが問題意識ですね。あったという意識でやるべきではないし、なかったという想定でやるべきではないし、なかったという想定でやるべきではない。そういう意味では白紙だというわけです。」(中略)
本多「白紙といっても、ほんとうの白紙ということはありえないと思うのです。先の例でいうと、虐殺があったのか、なかったのかについては白紙で取材しなければならないけれども、それ以前の段階、つまり「それをなぜ取材するのか」という段階では白紙ではないわけです。」(『オーラル・ヒストリーと体験史』14〜15頁)


⇒本多は「新聞記者は中立であるべき」だと考えているわけではなく、事実を選択し、提示すること自体が規範を作り出す(「われわれはそれを知る必要がある」)行為であることを(やむを得ないこととしてではなく)積極的に認めている。
(『中国の旅』について)「とにかく日本側が延々と一方的な情報を流し続けてきたわけですから、こんどは、中国側が日本をどう見ているかということをそのまま伝えてやろう、あとの判断は歴史学者に委せる、と。」(同12〜13頁)


・「読者」へ語りかける上での障害
本田「たいへん優れたルポルタージュというのは明らかにある。しかしそれが出てくるためには二つの要素が必要です。第一は、新聞でいうと「特ダネ」みたいなものですよ。たとえば、日本のどこかの原発がいずれ爆発しそうだと。これはルポになりますね。文章がおもしろくなくても、内容の重大性によって読者はとびつくし、これをいくら体制側がつぶそうと思ったってつぶせない。第二はさきほど言った技術的な面白さです。……いくら体制側がノンフィクションを歓迎して、ルポルタージュによる事実の追及を歓迎しない時代であっても、そういうものは出てくるわけです。出てこざるを得ない。これが私のいう「魅力あるルポルタージュ」ですね。」
本多勝一和多田進「「魅力あるノンフィクション」とは何か」(『朝日ジャーナル』別冊1987,11,25)


⇒「作者」と「読者」の間に存在する「体制」(国家、出版社、通俗道徳etc……)の存在が強く意識されている。「作者」は「体制」に対して、ある「事実」を「読者」に伝えることの正当性を主張しなくてはならない。「われわれはこの事実を知るべきである」。


「〔注〕一四八頁の写真には、右下の女性の死体の一部が灰色になった個所がある。ここには棒が突きさされている。著者としては、最初すべてをありのままに出すつもりでいた。いかに残酷であれ、目をそらせてはならぬ。事実から目をそらすことが次の残酷を育てる。だが、出版倫理でこの分野にくわしい人の忠告によって、残念ながらこのような措置をせざるをえなかった。」(『カンボジア大虐殺』155〜156頁)


⇒「目をそらしてはならない」のは誰か?無意識のうちに「残酷な事実を直視しなくてはならない「われわれ」というアドレス」が設定されているのではないか。
「残酷な事実」を直視することで、「われわれ」は被害者と同一化できるのか?
 

4.「事実を語ること」の規範性(ソンタグ『他者の苦痛へのまなざし』から)
(アメリ南北戦争以降に)「明らかにタブーを侵して、死んだ兵士がはっきり見てとれる写真を正当化する第一の理由は、記録するという単純な義務であった。……リアリズムの名において、不快で厳しい事実を示すことが許され、要求された。このような写真は「戦争の壮観にかわって、戦争のまったくの恐怖と現実」を見せることで「有益な教訓」をも伝える、とガードナーはオサリヴァンの撮ったある写真の解説で述べている。」(50頁)


「あらゆる記憶は個人的なもので複製不可能であり、個人とともに死ぬ。集団的記憶とよばれるものは、記憶することではなく規定することである。これが大事なのだ、それはこういうふうにして起こったのだ、というふうに。そして記憶を我々の心に閉じ込める写真を添付する。」(84頁)


⇒「集団的記憶」……報道はそれを記憶するべき「われわれ」というアドレスを個人の中に作り出す。「他者の苦痛へのまなざしが主題であるかぎり、「われわれ」ということばは自明のものとして使われてはならない。」(6頁)が、ソンタグは「われわれ」というアドレスのもつ意義を否定しているわけではない。


「知覚的現在の見聞嗅触を「体験」と呼ぶことにすれば、「体験を話す」ことは、今現在の知覚状況を描写し、記述することにほかならない。それに対して、「経験を語る」ことは、過ぎ去った体験をありのままに描写することではない。「経験談」、「経験豊富な人」、「学識経験者」といった日常表現にも表れているように、経験を語るという行為には、単なる記述にはおさまらないある種の規範的意味が込められている。 ……一度限りの個人的な体験は、経験のネットワークの中に組み入れられ、他の経験と結び付けられることによって、「構造化」され「共同化」されて記憶に価するものとなる。逆に言えば、信念体系の中に一定の位置価を要求しうる体験のみが、経験として語り伝えられ、記憶の中に残留するのである。」(野家啓一『物語の哲学 柳田國男と歴史の発見』106〜107頁)


⇒「いま」「ここ」で完結する「体験史」であっても、それが「共同化」され、「記憶に価するもの」と見なされるとき、それは「経験」としての規範性が付け加えられる。
⇒「語られること」「記憶に価するものと見なされること」それ自体が規範性を生み出すという点で、本多勝一が排除した「オーラル・ヒストリー」との共通性を持つ。


「写真家は、曲芸師と同じように、真実らしさの法則や、さらには可能性の法則に挑戦しなければならない。極限においては、写真家は、興味関心の法則に挑戦しなければならない。写真は、それがなぜ写されたのかわからなくなるとき、真に《驚くべきもの=不意を打つもの》となる。……最初のうち、「写真」は、不意を打ち=驚かすために、注目に値するものを写す。しかしやがて、よく知られた逆転現象によって、「写真」は、それが写したものこそ注目に値するものである、と宣言するようになる。そこで、《何でもかまないもの》が、最高に凝った価値となるのである。」(ロラン・バルト『明るい部屋』48〜49頁)


⇒報道写真においては、作為的な写真よりも、偶然撮影された写真の方が真実らしく感じられる。「事実の羅列」として淡々と書かれた文体が、かえって規範的に作用する。


5.何を共有し、何を共有することが出来ないのか。
「さて、ポ政権はなぜ?――この点こそが私たちの他山の石として学ぶべき、また想像を絶する大量の死者たちの経験を無にせぬための課題でもある。それは哲学的あるいは詩的にではなく、あくまで具体的に解明しなければなるまい。アウシュヴィッツの解明に、戦後の膨大な人員と時間と関心が注がれ、膨大な報告や作品が発表されたように、カンボジア虐殺にもそれらが注がれなければならない。それをしないのは「東南アジアの一角」で起きたことに(すぎぬ)(傍点で強調)ための「人種差別」でもあろう。」(『カンボジア大虐殺』379頁)
「なお、おわりに司会者として読者におことわりしておきたいのですが、カンボジア大虐殺はその規模においてしばしばアウシュヴィッツと対比されますものの、背景や性格はたいへん違いますから、その点までも混同されませんように。」(同442頁)


⇒報道の規範化作用は、カンボジア大虐殺を「われわれ」の問題として考えることを要求する。その際に問題となるのは、「カンボジア大虐殺」の固有性であり、他者には理解できない「想像を絶する」領域をどう考えるか、ではないか。
⇒「カンボジア大虐殺」の固有性と、「われわれ」の問題となる普遍性はどのように結びつくのか?


「実際、残虐行為や戦争という概念そのものが、写真証拠があるという予想と結びついている。そうした証拠は一般に、事後の、いわば残骸の証拠である。カンボジアポル・ポトの骸骨の山、グァテマラ、エルサルバドルボスニアコソヴォの大量の墓。そしてこの事後の現実は往々にして心をえぐるような出来ごとの要約にすぎない。」(『他者の苦痛へのまなざし』83頁)
「問題は人々が写真をとおして記憶することではなく、写真のみを記憶することである。写真をとおしての記憶は、理解と記憶の他の形式を影の薄い存在にする。」(同87頁)
⇒「見えるもの」として残虐行為を記録して行くことが、「見えない残虐」の存在を隠蔽する。


6.他者への想像力を促すこと
「「写真」は、それが《現実》を二重化せず、ゆらめかせずに、ただ強調して変換するとき、単一なものとなる(強調とは一種の擬集力なのである)。……報道写真は、非常にしばしば単一な写真となる(単一な写真は、必ずしも平和な写真というわけではないのである)。報道写真の映像には、プンクトゥム(私を突き刺すもの:引用者注)はない。衝撃力はある――字義どおりの意味は精神的ショックを与えることができる――が、しかし乱れはない。単一な写真は《叫ぶ》ことはできても、傷を負わせることはできない。そうした報道写真は(いっぺんに)受けいれられ、それで終わりである。私はつぎつぎにページをめくり、二度と思い出すことはない。そこでは、ある細部(どこか片隅にあるもの)が、私の読み取りを中断しにやって来ることは決してない。私は(世界に関心を寄せるのと同じように)そうした写真に関心をもつが、それを愛することはないのだ。」(『明るい部屋』54〜55頁)


⇒単純化された報道は「残酷な記憶を共有した」という感覚を与えるが、それによってすぐに人々が結び付けられるわけではない。他者への理解(何が共有可能で、何が不可能か)を促すには、読者を刺激する「プンクトゥム」(細部)の存在が必要。


「「写真」は動かない映像として定義されるが、それは単に、写真に写っている人物たちが動かないことを意味するだけではない。彼らが外に出てこないということも意味するのだ。(中略)しかしながら、プンクトゥムがあれば、ある見えない場がつくり出される(推測される)。私から見ると、晴れ着を着た黒人女は、そのまるい首飾りのおかげで、肖像写真全体の外のある生活全体を手に入れたのである。」(同69頁)


プンクトゥム(細部)は読者の思考をとおして拡大される。作者の意図や問題意識に還元されない「過剰性」が、写真の中に描かれないものの存在を予感させ、「記憶の分有」のきっかけを生み出す。


「物量にものを言わす米軍に対し、弾薬も底をついた日本兵は、敵軍を驚かすために英語で叫び声を上げながら突撃した。元大尉は語る。突撃してきた日本兵たちのひとりがこう叫んだのだという。「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース!」(Hell with Babe Ruth)「ベイブ・ルースといっしょに地獄に落ちやがれ」と。……だが、どうしてベイブ・ルースなのだろう、とその老年の元大尉は訝しがる。「ヘル・ウィズ・ルーズベルト」なら分かるのだが、と言って。……「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース」――それはいったい誰の声なのだろうか。「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース」と、何かに憑りつかれたようにわたしが今、繰り返し書くとき、語っているのは誰なのか。わたし、なのだろうか?それとも、わたしの記憶のなかのあの元大尉なのか?それとも、あの日本兵だろうか?それとも、あの日本兵のなかの彼自身も知らないなにごとか、もしかしたら〔出来事〕それ自身なのではないか?「ヘル・ウィズ・ベイブ・ルース」というその言葉は、〔出来事〕の過剰としての表象不能な〔出来事〕の存在を指し示しながら、〔出来事〕の記憶を他者へと転移させていく。」(岡真理『歴史/物語』79〜81頁)


⇒ジャーナリズムの文体がもつ可能性とは、著者の意識が文章から消されていくことで逆に前景化してくる「出来事それ自身」の過剰性を通して、著者が意図しない形で「記憶の分有」のきっかけが生まれることではないか。

カンボジア大虐殺 (本多勝一集)

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他者の苦痛へのまなざし

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物語の哲学―柳田国男と歴史の発見

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明るい部屋―写真についての覚書

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記憶/物語 (思考のフロンティア)

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